水田わさびさんがさんま御殿に登場!
子供にはドラえもんの声であることを
秘密にしているそうですね笑
普段は声だけの出演が多い声優のお仕事の裏側と
新ドラえもん役に抜擢されてからの批判や
苦悩話を詳しく紹介します。
㊗『ドラえもん』新たな声優陣、今年で20周年
木村昴「人生の半分以上がジャイアン」https://t.co/hu9JYnhsV1ドラえもん:水田わさび
のび太 :大原めぐみ※体調不良のため欠席
しずか :かかずゆみ
ジャイアン:木村昴
スネ夫 :関智一 pic.twitter.com/jPdcG5qE54— オリコンニュース【アニメ】 (@oricon_anime_) January 29, 2025
水田わさびの基本プロフィール
- 名前:水田わさび(みずた わさび)
※本名は非公開。芸名「わさび」は劇団すごろく座長・緒方賢一氏が命名。
- 生年月日:1974年8月4日(51歳)※2026年6月
- 出身地:三重県名賀郡青山町(現・伊賀市)
- 身長:158cm
- 所属:青二プロダクション
- 声質:メゾソプラノ、ややハスキー。少年役が得意。
経歴(幼少期〜声優デビューまで)
● 幼少期
- 『忍者ハットリくん』『オバケのQ太郎』など藤子作品が大好きな子どもだった。
- 小学校の音読が大好きで、これが「読むこと」「演じること」への原点に。
● 声優を志したきっかけ
- 中学3年の頃、『ドラゴンボール』の野沢雅子・田中真弓の演技に衝撃を受ける。
→「悟空の声が女性!?」と知り、声優という職業に強く憧れる。
● 上京と劇団時代
- 高校卒業後、家族の反対を受けつつも「4年で芽が出なければ諦める」と約束して上京。
- 劇団すごろくに入団。最初は裏方スタッフとして働き、のちに代役で女郎役を演じて舞台デビュー。
- 舞台で馬役を演じていた際、たてかべ和也氏(2代目ジャイアン)に見出される。
● 声優デビュー
- 1996年『トイレの花子さん』上岡山大介役で声優デビュー。
- 緒方賢一氏ら先輩に現場で直接指導を受け、実践で技術を磨く。
『ドラえもん』2代目ドラえもん就任(2005〜)
- 2005年、大山のぶ代さんの後任としてドラえもん役に抜擢。
- オーディションは抜き打ち形式で行われ、最終合格の瞬間はニュースで放送されるほどのサプライズ演出だった。
- 就任当初は「声が違う」と批判も多く、本人も「クビになるかも」と不安を抱えていた。

映画『のび太の恐竜2006』制作決定で続投を確信し、徐々に現在の“わさドラ”が定着しました。
家族構成とエピソード
● 家族構成
- 夫:ブログ上の呼称「わさ夫」
- 長女:「子わさ」
- 次女:「わさ子」
※命名は劇団仲間やファンのコメントが由来。
● 家族エピソード
- 出産時のナースコールが“ドラえもんの声”になってしまった
陣痛の痛みに耐えながらナースコールを押したところ、声と口調が完全にドラえもんになってしまい、看護師に
「ドラえもんがナースコールしてるみたい」
と言われたという有名なエピソードがあります。
- 夫の“厳しすぎる”一言
ドラえもん役就任直後、夫から
「お前には務まらない。やめるなら今だぞ」
と言われたことがあるそうです。

このことは“本気で支えたいがゆえの厳しい励まし”だったと後に語られています。
- 子どもたちの発想を演技に活かす
子どもの何気ない言葉や動きを演技の参考にすることも多いと語っています。
交友関係
水田わさびさんは、先輩に可愛がられる性格で、食事に行くとよく奢られていたというエピソード多数あります。
● 関智一(スネ夫役)
- 2005年の新生『ドラえもん』開始以来の共演者。
- 水田さんは関さんのことを「頼れる存在」と語り、関さんも水田さんを「わさちゃん」と呼ぶほど親しい。
- 収録現場では互いに注意し合える関係で、水田さんは「家族みたいな仲」と表現している。
● あいみょん(シンガーソングライター)
水田さんが“10年来の親友”と語るほどの深い関係。
- メジャーデビュー前から水田さんがライブに通い続けていた。
- 一緒に食事やトキワ荘マンガミュージアムに行くなど、プライベートでも親しい。
- 映画主題歌決定時にはサプライズで現場に訪れ、抱き合って喜んだというエピソードも。
● 小原乃梨子(初代のび太役)
- 新人時代に発声や滑舌を丁寧に指導してくれた“恩人”として語っている。
- 「後輩思いの先輩だった」と強い尊敬を示している。
過去の極貧生活とアルバイト漬けの日々
● 家賃3万円台のアパート
- 風呂なし・狭い部屋で生活。
- 食費を削るため、もやし・納豆・うどんが主食だった時期もある。
● アルバイトを掛け持ち
- 劇団の稽古があるため、深夜や早朝のバイトを中心に働く。
- コンビニ、飲食店、清掃など、生活のためにできる仕事は何でもやった。
● 劇団の裏方として働く
- 舞台に立つ前は、
- 小道具作り
- 衣装の準備
- 舞台の転換
など、裏方として雑務をこなしていた。
劇団すごろく時代の苦労
● 代役で突然舞台に立つ
- ある日、女郎役の役者が急に来られなくなり、
→「お前、今日出ろ」
と言われて初舞台。
- これがきっかけで演技の楽しさに目覚める。
● 馬役で“たてかべ和也”に見出される
- 舞台で馬の役(四つん這いで動き回る)をしていた時、
→先代ジャイアンの たてかべ和也 さんが彼女の声を気に入り、声優の道を勧めた。
- これが声優人生の転機。
下積み時代に培った“舞台力”と“声の表現力”が、
後のドラえもん役に直結したのでしょう。

たてかべ和也さんに見出されたのも、舞台で全力で馬役を演じていたからこそ。
新ドラえもん開始直後の批判とメンタル
● 放送開始直後は“批判の嵐”
2005年4月、新キャスト版が始まると…
- 「声が違う」
- 「前の方が良かった」
- 「ドラえもんじゃない」
など、ネットや視聴者から大量の批判が寄せられた。
当時の水田さんは、
「クビになるかもしれない」
と本気で思っていたという。
● それでも続けられた理由
- スタッフが「あなたのドラえもんでいい」と励ましてくれた
- 共演者の関智一(スネ夫)が精神的に支えた
- 子どもたちの反応が徐々に良くなっていった
● 映画『のび太の恐竜2006』が転機
映画制作が決まったことで、
「あ、続投なんだ…!」
と初めて安心できたと語っている。
まとめ
水田わさびさんは、
声優を志して親の反対を押し切り上京しましたが、
厳しいオーディションや極貧生活の中で何度も
挫折を経験しました。
しかし、先輩や仲間の励ましの中で
諦めずひた向きに取り組んできた甲斐あって
ついにドラえもんの声優に抜擢されました。
“国民的キャラクター”を背負う存在になった
初めの頃は、批判も多く気持ちも
不安定だったそうですが、
新キャスト陣との絆を深めながら
今の愛されるドラえもんを
作り上げました。
水田わさびさんの明るくて元気な声
の裏には、努力・覚悟・人との縁
がぎっしり詰まっていました。


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